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zoom RSS 醜悪な都市

<<   作成日時 : 2006/02/07 09:17   >>

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要するにね、日本は土地を公有にしなきゃどうしようもないと思う。
産業問題もなにも解決が不能だと思うね。
地面そのものに途方もない値段がついていて、
地面をころがすことによって金が儲かる。
自他ともに加害者・被害者の一人二役を演じていて、
電子レンジの中にいるみたいです。
こんな社会はどこの国にもないことでしょう。


司馬遼太郎の『土地と日本人』から。

今週金曜日から冬季オリンピックが開催される、
トリノの街を今朝テレビで見た。
美しい町並みがアルプスを向こうにした風景とマッチして、
一枚の絵画のようだった。
きれいなのである。美しいのである。整っているのだ。

もちろんテレビ局のクルーが
そういう風景だけをうまく切り取ったからかもしれない。
あるいはイタリア当局による提供映像かもしれない。

しかし、だ。

例えば、日本の都市はどうか。
東京の街の風景を切り取って、
同じような心象を受ける風景があるだろうか。
東京がダメなら大阪では?名古屋では?

ダメなのだ。
日本の都市は醜い。

原因はなんだろう。
司馬氏の言葉にヒントがある。

切り刻まれた私有土地での、
高さがバラバラで敷地パンパンまで建てられた、
建物群の混沌にあるのではないか。

土地を「利用」するのではなく「所有」することが
財産・資産となる、実質的な土地本位制だ。
持ち家といっても、
土地代に殆どの所得が注がれ、
結果、低コストで
断熱性や静音性、耐震性を犠牲にした
ウサギ小屋に住む。
ローンが済んだ頃は、人間より先に
建物が老朽化してしまっている。

バブルであれだけ「土地転がしゲーム」で懲りているのに
未だに「土地の値段が上がれば景気も・・・」という論調もある。

都市という環境では、土地そのものは何も生み出さない。
畑でも田んぼでも牧場でも炭坑でも工場でもない。
居住することも含めて、サービスを提供し合う場だ。
土地の上で何をするか? が価値となる。
その規模が都市の許容人数にもなる。
そしてその質が都市の品性にも繋がる。
数10坪単位での売り買いや建て替えでは、埒があかない。

土地を公有するといっても
決して社会主義を謳っているのではない。
「所有権」から「利用権」に軸を移して、
都市のあり方を皆でトータルに考えるように、
仕組みを変えることは出来ないか。

いつまで醜悪な都市に
せせこましく暮らしていかねばならないのか。

本来は価格の変動するはずのない土地に、
振り回されることから、なぜ脱却しようとしないのか。
どうしてそういう声が
世の実力者や識者から上がらないのか。

結局この社会を選んだのは私たちなのだが、
このままでは巨大なる廃墟を
我々は背負うことになりはしないか。


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
廃墟で思い出しました。旧約聖書の中でも都市の廃墟が・・新たな支配の前兆として幾度か書かれていたと思います。やがてはバベルの塔的崩壊が次々と起き、行く末は細〇さんの予言で言うところの難民?の線もそう突飛な事でもないか、と考えています。
又三郎
2006/02/09 22:08
「都市計画」というものが平城京や平安京あたりで日本では途絶えました。江戸も計画された都市ではなかったようです。第二次世界大戦の敗戦後がラストチャンスでしたが結果はこの通り。
日本橋の上に空を・・・なんて規模で大騒ぎするようでは難民にまっしぐらかも。
言の葉ブログ
2006/02/10 15:30

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