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zoom RSS 台所よさようなら

<<   作成日時 : 2006/04/28 10:11   >>

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「添加物を気にしているのと低脂肪を心がけているので、
 ウィンナーはいつもボイルして添加物と油分を抜いて使っている」
と回答した主婦(四〇歳)は
お弁当にしょっちゅうウィンナーを使っているが
一度もボイルせず、炒めたものばかり。
尋ねると
「朝は忙しいから別」と言うが、
この家ではウィンナーは朝しか出てこない。


岩村暢子著の『変わる家族 変わる食卓』より。

この本を読んだのはごく最近だが、
読み進むうちに
これほど暗澹たる気分になった本はなかった。

「食育」なんていう言葉がつくられる時代になり、
今さらながら「食べること」「食卓を共にすること」の
重要性が口にされる。

しかし、もしかすると、
もう「手遅れ」なのではないか。

同じ屋根の下に住みながら、
食べるタイミングも食べ物の種類も
全部バラバラの「バラバラ食」。
冷蔵庫にインスタント食品を在庫して、
「好きなのを食べて」と
子供が何を食べるかに関心がない親。
しかも、
食べ物をケチって遊ぶ金を確保することに
何の疑問も持たないのだ。

「食べること」にこだわることは、
かっこ悪い、ことなのだそうだ。

「人は生きるために食べるのではなく、
 食べるために生きている」
という誰ともなく言われてきた言葉に
素直にうなづける小生は、
「食べること」がどんどん
生活から追い出されつつある趨勢に
強い違和感をもっている。

学校給食で「いただきます」を言う言わないで
ネット上で大騒ぎするくらいだから、
なにをか言わんや、だ。
形、形、形。
こだわるのは常に外面的なことばかりだ。

「美味しいものを楽しく食べられる、って
 本当に満ち足りて素晴らしいことだよね」と思っている小生は
古代人のようなものなのだろうか?

この本の内容が本当に事実そのままであるならば、
いつのまにか、
どこか遠い世界に連れてこられた哀しみさえ
感じられてくる。

最後に、
小生が最も落ち込んだ記述を、
ちょっと長いが引用させていただく。

「クリスマスにサンタさんからプレゼントをもらえる立場でなく、
 自分がサンタさんしなければならない立場になったのが寂しい」(三二歳)
とか
「自分が子供の頃のクリスマスでは親に歌を歌ってもらえたのに、
 いまは子供に歌ってやる立場になったので楽しめない」(三一歳)、
「お年玉がもらえなくなって、
 自分があげなければならない親になってしまったのは寂しい」(二九歳)
などということを、
決して冗談としてではなく、
インタビューで訴えたり嘆いたりする主婦が何人もいる。
・・・(中略)・・・
こうして、「〜してあげる人」がいない、「みんなゲスト家族」では、
休日のご馳走も家族の記念日も、
そして家の伝統的な年中行事の日さえも、
どんどん外注化されていくのである。


・・・というわけで結論です。

台所よさようなら。
カスミでも食べて生きていくとしましょう。


変わる家族 変わる食卓―真実に破壊されるマーケティング常識
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
一時、色々な状況が重なり私が台所に立つことが多くなりました。何時だったか、子供たちが「ウチの家庭の味はお父さんが作るカツ丼だね!」って・・複雑な心境でしたが、出来るだけ手作りしたのは良かったと思います。台所が冷たくなると、子供達の心も冷たくなるのが分かりました。
又三郎
2006/04/29 23:21
食事とは、動物や植物の命を「いただいて」自分の大切な体をつくりあげるための、生きるためには最も大事な営みのはず。
それから目をそらしては、教育も躾も空しいものになるのでは。
「孤食」「個食」といった寂しい言葉がある国に、どんな魅力があるものでしょうか。
言の葉ブログ
2006/04/30 11:01

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