言の葉ブログ(名言ブログ)

アクセスカウンタ

zoom RSS マラソン至上主義的な演出もほどほどに

<<   作成日時 : 2008/02/18 20:51   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

日本人は均一性を欲する。
大多数がやっていることが神聖であり、
同時に脅迫である。


作家 司馬遼太郎の言葉。

2月17日の東京マラソン2008。
第2回目の今年は晴天にも恵まれ、
完走率も97.8%と上々だったようだ。

3万人を超える参加者が、
東京の名所を巡って走り抜け、
沿道には200万人を超える人の声援が飛んだ。
楽しそうな参加者たちを見れば顔もほころぶ。

きっと、東京オリンピック誘致への
キャンペーンにも一役買ったことだろう。

だが、だ。

何時間にも渡って、
感情をむき出しにして感動をやたらと煽り、
マラソンの素晴らしさを押し売りするような
テレビの大騒ぎには全く辟易した。

参加希望者が15万人と多く、
抽選になって3万人に絞られたらしいが、
どうやら特別枠っぽい芸能人やマスコミ関係がやたらいる。
度が過ぎれば、ゲップも出てくる。
あごが出た必死な形相を映し続けるのも悪趣味だ。

42.195kmを走ることで達成感を味わうこと。
それは一部のアスリートのものから、
市民マラソンという形を通して皆のものになった。

しかし、その「マラソン」が
若干押しつけがましい見世物になってくると、
肯定する声ばかりが響いて、なにやら気味悪さも感じてくる。

どんなものにも影の部分がある。
無理をして普段しない運動をすることで、
生死に関わる危険にも遭遇する可能性もあるはずだ。
そういうことへの配慮を示唆するような視点が抜けてやしないか。
足のマメや膝や腰の痛みで済まない事態もあるだろう。

さらに。

身体に障害を持っている人や、
大病を乗り越えた人たちを取りあげることは
共に社会を生きる者の様々な想いを感じ知るために
大事なことだと思う。
でも、どうして
「チャリティ」や「マラソン」という形を介するのか。
(最近はこれらの合わせ技も多い)

彼らや彼女らの想いを大切にしたいのならば、
誤解を与えるような演出は避けて欲しいと思う。
ハッピーエンドに届かぬ声なき人たちにも配慮せよ。

加えて。

大きなイベントということで
コマーシャリズムも大いに顔を出してくるのだろうが、
少なくともこれ以上は過剰な報道もしない方がいい。
今回の形がギリギリの限界ではないか。

その内、
会社からロゴのついたTシャツでも着せられて
集団で走るサラリーマンの団体や、
妙な集団のプロパガンダに利用される者も
出かねないぞ。

「マラソン」は、
走るのが好きな人が、
自分のペースで無理なく楽しめればいい。
無理に「目的」や「生き甲斐」を求めないで。

走るのが苦手であれば、
他のことで表現すればいいこと。

スポーツも確かに素晴らしいが、
他でも達成感を味わえることはいくらでもある。
体でなく頭で汗をかいてみるのもいい。

そうそう、言い忘れていた。

ちなみに、小生は
「マラソン」は大の苦手であります。
オソマツでした。


健康病―健康社会はわれわれを不幸にする (新書y)
健康病―健康社会はわれわれを不幸にする (新書y)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
テレビではまだやっており、まさに脅迫です。他の分野でもそうですが、もっと多彩な演出や報道を・・・と思います。
又三郎
2008/02/25 12:51
他と同じことをやって安心してしまうとは、ジャーナリズムはどこへやらですね。反骨精神なんていうものは過去のものなんでしょうか??
言の葉ブログ
2008/02/25 22:35

コメントする help

ニックネーム
本 文
マラソン至上主義的な演出もほどほどに 言の葉ブログ(名言ブログ)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる