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zoom RSS 時が病気だったら

<<   作成日時 : 2010/01/10 12:27   >>

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時が癒やす?
時が病気だったらどうするの?


映画『ベルリン・天使の詩』より。

人間と同じく、
社会にも健康・不健康ということが
あるのかもしれない。

道理とか合理性というものが
表の世界でもすんなり通らない世の中というのは
やはり病んでいると言っていいのだろう。

若者に夢が与えられず、
自殺者が毎年3万人もいて、
弱者が普通の生活から
ぼろぼろ崩れ落ちてゆくような社会は、
”健康状態”からはほど遠いであろう。
それも先進国と呼ばれる国なのに、だ。

厄介なのは、
社会には薬を処方するわけにもいかないし、
第一「医者」というのものがない、ということだ。

それでは、そのまま自然治癒を待つか、
ということになるが、
問題は、時間が解決してくれるかどうかも
わからなくなってきていることである。

一晩寝て起きてみたら
面倒な揉め事が解決していたなどという
牧歌的な時代ではとうになくなっている。

社会の弱い部分は、よってたかって突つき、
ほじくり回し、最後にはポイ捨てするのが
グローバルな時代の掟のようだ。

それが果たして、まともな
時の淘汰の流れとして受け入れるままで
いいものだろうか。

そうして、脆い部分から
どんどん社会も剥げ落ちていき、
そして時の藻くずに消え去ってしまうのか。

やみくもに時が刻まれるのをただ見ているしか
ないものなのか。

いくつも疑問は湧いてくるけれども、
社会の中からの自浄作用にも今ひとつ勢いがない。
打てば響くような元気さも見えない。
かつてのように外圧が助けてくれることもない。

しかし、考えてみれば
時間は本来相対的なものであり、
絶対的なものではないはずだ。
そして時間自体に”意志”があるわけでもない。

客観的に過ごしている限り、
どこかの誰かの意識によって流されてしまうことに
気づかなければいけない。

主観的に自律的に生きることによって、
いくつもの分岐点から希望ある未来を選ぶ可能性を
勝ち取ろう。
「そうしかならない」と思うのをやめて、
「こうありたい」と思い続けよう。

結局のところ、
時が病気なのではなく、
時が病気であるせいにしようとする我々の弱さが
問題なのだから。

運命決定論に苛まれるのは
老いた厭世主義者だけに任せればよいのだ。



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