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zoom RSS 「解釈論」ばかりの報道でいいのか

<<   作成日時 : 2010/02/07 16:57   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 1 / コメント 2

事実というものは存在しない。
存在するのは解釈だけである。


哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉。

民主党小沢幹事長が
政治資金問題で不起訴になったこと。
朝青龍が
暴力沙汰で引責引退したこと。

同列で論じるのもなんだが、
いずれも当事者たちが結論を出したというのに
未だに報道はだらだらと続いている。

だが、どちらの件でも
未だにさっぱり「事実」がみえてこない。

だから巷に溢れているのは、
主観的な解釈論ばかり。

彼の行動はおかしいと思いますか?
正しい処理方法だと思いますか?
政治家としての資質はあると思いますか?
横綱としての品格はあると思いますか?

「思いますか」ばかりの質問に対して、
(私は)「こう思います」という私見ばかりで
テレビも新聞も埋め尽くされている。

どちらの場合にも、
伝わってくる情報が、一方の側からだけなので、
何が実際に起こったのかという検証が
客観的にされていない。

だから結局は小沢幹事長や朝青龍の
過去の言動をほじくり出し、
そこからのイメージで
良い悪いを論じているだけだ。

いや、「論じて」なんかいない。
ただ想像でいい加減なことをほざいているだけだ。

それに否応なく付き合わされる庶民も
いい迷惑なのである。
テレビのスイッチを入れても
新聞の一面を開いても
まず目に耳に飛び込んでくるのだから。

これでは報道公害と言ってもいい。
公平どころか
悪意のあるプロパガンダとしか思えない。

「群盲象を撫づ」ではないが、
庶民の目と耳をノイズで覆ってしまって、
真実も事実もわからなくしているのは
報道自体ではないか。

場末の飲み屋で
オッサンがクダ巻いて与太を語っているのと
レベル的な違いはない。

取材自体が劣化しているか、もしくは
端から結論ありきのスタンスをとっていると
勘ぐられても仕方がないのではないか。

なんでもかんでもマスコミ否定しようという気は
毛頭ない。

しかし情報を受け取る側の情報リテラシーが
高まりつつある中で、
情報を取材し流す側の姿勢がこんなに
エモーショナルで主観的であることが見え見えでは、
情けなさ過ぎるのではないかと思うのだ。

もう「解釈論」はいい。
報道としての「説明責任」を果たすべきである。

不十分な情報を与えておいて
判断を求めて得た世論調査には何の正当性もない。

そう、それでは単なる「世論操作」である。

それに乗っかって国会で質問している政党も
いい面の皮である。それとも確信犯なのか・・・

諸外国からそう指差されて恥ずかしい思いをする前に、
報道機関が自分たちで気づいて欲しいと願うばかりだが、
この想いは届いてくれるだろうか。





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
大方はニーチェの言葉通りだと思います。

政党やマスコミとの利害関係の薄い人から、
時にタブーとされる話が出てきます。

今や、事実らしいものはネットでやっと確認できるのかも知れないと感じています。

まぁ、それでも判断は其々ですが・・





又三郎
2010/02/11 22:20
最近は国会が政治家の面接試験会場と化してしまい、さっぱり本来の議論に入ろうとしていません。人の品定めは雨世にでもして欲しいものです。
言の葉ブログ
2010/02/12 23:00

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