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zoom RSS 自殺のように見える”他殺”

<<   作成日時 : 2010/05/16 16:17   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2

自殺が美しいとすれば、
それは虚構であり、偶然的だからである。
ぎりぎり追いつめられた
中小企業の経営者の倒産による自殺は、
自殺のように見えるが実は”他殺”である。
膨張しすぎた資本主義社会の歪みから出てくる自殺は、
形のいかんを問わず他殺である。


寺山修司の言葉。

年間3万人を超える自殺先進国、日本。
(参考:自殺率の国際比較

これに対して、国や社会は
未だに有効な対策をとっているとはいえない。
むしろ、どうしたらいいのかわからない、という
お手上げ状態のようだ。

なぜか?

自殺という行為を生むのが、
自殺した本人の事情であり、
その事情が個々で異なるから
いちいち対処するのは困難であると
端から諦めているということもある。

しかし何よりも、誰もが
個々の自殺者に対して責任を感じていないことが
一番に挙げられるのではないか。

自殺行為自体とその後始末には関心があるが、
自殺に至った経緯や、その根本的解決には
遺族以外は誰も触れず、手をつけようとしない。

それどころか、死んでくれてえらい迷惑だよ、と
死者に鞭打つこともはばからない。

死んだのは弱いからだ。
死ぬよりも生きるのが勇気じゃないか。
死んで花実が咲くものか。
自分だけ死ぬなんて無責任だ。

もう、言い放題だ。

まさに、死人に口なし。
弁解の機会を与えられないのも自殺者への報いか…

かつて、NHKの番組で、自殺者の遺族の言葉として
このようなものがあったという。

「遺族が苦しむ、悲しむから死ぬなというのは、
 わがままではないか?」

死ぬことまで考えるに至った者に対しても、
それを責めて追い詰める”世間”の怖さ。

先の寺山修司の言葉の通りで、
現代の自殺は、ほとんどが実は他殺なのだ。

その人らしく生きる一選択肢としての”自殺”でないなら
それは、その人を”追い込んだ人間”が殺したことに
他ならない。

ただ、その”追い込んだ人間”が、
国や自治体であったり、組織であったり、
地域コミュニティであったりして、
不特定な複数の人間に分散することによって
責任が回避されているのである。

しかし、それで赦されるはずはない。

敢えて言えば、この日本全体が
毎年3万人を自殺に追い込んでいる
殺人集団なのだ。
自殺者の周りの人間を加えれば、
毎年30万人以上を苦しめている国なのだ。

自殺者を責める前に、
他者を追い込むことにいそしむ自分自身が、
血塗られた手をしている罪人であることに
個々人が気づかなければならない。

次のターゲットは
あなたかもしれないのである。



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
とても興味深い内容でした。
私は何度も何度も死にたいと自殺未遂を
繰り返しました。
精神病もいくつか患っています。
私の苦しみの一つに、世間の目、自殺に
対しての余りに冷たい言葉。
何故こんなにも視野が狭いのか。
心は死んでます。この記事を多くの人に
読んでいただきたいです。
えり
2011/05/25 01:53
えりさん、コメントありがとうございます。
今回の震災でも「一つになろうとする日本」と同時に「被災者とその他を分けようという日本」が生まれつつあり心が痛みます。この期に及んでも国も社会も何も学ばなければ、さらに弱者を追い込む荒んだ世の中になるかもしれません。
が、しかし希望だけは持ちましょう。自分の身の回りにいなくてもネットの向こうに仲間はいるかもしれません。少しずつ周りが見えてくればきっと。
言の葉ブログ
2011/05/28 14:15

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