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zoom RSS 海外からこぞって賞賛される「秩序ある冷静な日本人」がさほど幸福ではない理由

<<   作成日時 : 2011/05/22 09:51   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2

幸福であるという義務ほど、
私達が低く評価している義務はない。


アメリカの俳優、
ロバート・スティーブンスの言葉。

東日本大震災をきっかけにして、
「日本人」に対する海外の評価が
非常に高まっているそうだ。

鉄道不通で長時間徒歩で帰った帰宅難民。
それをボランティアで支えた周辺住民。
そして翌朝整然と駅の列に並ぶ乗客たち。

取り乱すことなく避難所生活に耐える被災者。
食料や水を分け合い励まし合う人々。
暴動や略奪が起こらない被災地。

これらの秩序ある行動が、
誰かに命令されてではなく
自発的に行った国民に世界は感動したという。

神道や仏教の影響、教育の賜物などと説明がされるが、
果たしてそうだろうか。

日本人が人類の中で
特殊な存在というわけではないし、
何か特別な教育を受けた覚えもないではないか。

だとすれば、そう行動せざるを得ない”何か”が
日本という社会にはあるのではないか? と
思うのである。

まず一つ目。

ムラ社会の中で「いい人」を演じ続けることが
最強のサバイバル策になること。

実名や由緒由来が明らかなムラ社会の中で、
周りの人間に「敵」や「異物」と警戒させずに
「いい人」と思われることで安全・安心な生活、
さらには安定した人生が保証されることだ。

「いい人」を”演じる”ことが大事なのであって、
本当に「いい人」であることとは違う。

根っからの「いい人」がいかにうまく利用されて
使い捨てられるか、は誰でもよくご存知のはず。

また、ムラ社会の外では、
「いい人」を演じる必要はなく、むしろ
いい加減でその場限りの付き合いになる。
”旅の恥はかき捨て”という言葉があるくらいだ。

二つ目。

「出る杭」「リーダー格」「先導者」となることが
敬遠され、承認されず、むしろ損になること。

集団の中で大人しく埋もれていることが
特に緊急時には一番の安全策なのだ。
こういう時に良きにつけ悪しきにつけ
先頭に立つことは損になる。

右往左往するだけの政府首脳や大企業幹部を見よ。
彼らにリーダーシップを求めるのが
そもそも”無いものねだり”というものではないか。

とにかく、どこの馬の骨かわからない、
自分たちと同じような人間が上に立つことを
認めないのが日本人なのである。

かつて幕府が権威を確立したのも、
天皇から征夷大将軍として国を任されるという
仕組みに因るものだ。

もっと言えば、現代であっても
天皇は象徴とは言ってもその権威は絶対的だ。
総理大臣だって天皇から任命されるのだ。

旧士族や旧華族が政治の中枢にある間は
国民もまがりなりにも言うことを聞いてきたが、
今のように
社会運動家上がりやその辺の兄ちゃんが
代議士や総理になったとて認めやしないのである。
菅総理を怒鳴りつけて頭を下げさせるのも
てんで屁じゃないのだ。

同じことはエリートについてもいえる。
国民の中で優秀な人間だとしても
学者や官僚のようなエリートの権威を
本音では全く認めてはいない。

「勉強ができる子」がいかにイジメの対象になるかは
皆も知っての通りだ。
だから、優秀な人間は他の皆に同化するか、
皆のついて来れない高みの学校を目指すことになる。
後者には自分を排した凡人への恨みがこもっている。

これが日本に真のエリートが育たない理由であり、
エリート集団の最たるものである官僚組織が
あらゆる手段で既得権を死守しようとするのも
同胞から嫌われ続けたエリート集団の
国民への怨恨と過剰防衛の為せる技である。

ついでに言えば、著名な識者が
いつまでも評論家や批判家であるのも、
執行者になることがいかにエリートに損であるかを
知ってしまっているからだ。

日本の民主主義が本当に根付かないのも、
投票率が上がらず、政治参加意識が低いのも
根っこはこんなところにあるのだろう。

・・・かくして
標準以上の人間の大部分は巷間に散らばって
「いい人」を演じ続けているのが日本という社会だ。

現代社会という複雑なパズルの空き場所を探して、
その場所や環境に自らの生活と人生を合わせる。
自分の好きなことや得意なことは置き去りにして、
今いるそこが最高の居場所と自らを納得させる。

実は素晴らしい才覚があっても表に出さず、
目立たず夢も見ず、ただただ埋もれ続けるのだ。

そんな大部分の日本人が幸福になり得るだろうか。

年間3万人強の自殺者数は何を表すのか。
将来への悲観論が楽観論よりも常に多数なのはなぜか。

今回、図らずも震災復興という目的を得た。
ただ、それのみに没頭しても、
日本の日本人の根本的な問題は解決はしないだろう。

日本人の中だけでは政策もビジョンもまとまらず、
海外から突き上げられてやっと半歩動くという他律国家。
米国の傘の下で到達した経済大国もつかの間で
GDP順位も下がり人口も成す術無く減少して
本当に目立たない小国になっていくのだろうか。

「秩序ある冷静な日本人」も
仕方なく選んだ生き方の結果なのであれば
それは立派でも素晴らしいことでもない。

ただ自然に翻弄されるままの従順な羊というなら
人間である歓びも尊厳もないというものだ。

だから海外に賞賛されても素直には喜べず
本音では当惑してしまうのではないか。

そう、今こそ人間としての幸福を
考えるべき時かもしれない。

それが出来れば、この未曾有の悪夢から
抜け出す力になることだろう。



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内 容 ニックネーム/日時
我が国の序列体制の美しさは、教育勅語の中で語られている。

我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそわが国体の誉れであり、教育の根源もまたその中にあります。
(我カ臣民克ク忠ニ克孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス: ワがシンミン ヨくチュウに ヨくコウに オクチョウココロをイツにして ヨヨソのビをナせるは コれワがコクタイのセイカにして キョウイクのエンゲン マタジツにココにソンす )


忠:  主君に専心つくそうとするまごころ。
孝:  よく父母に仕える。父母を大切にする。
国体:  主権のありかたにより区別される国家の形態


http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

noga
2011/05/23 04:42
教育勅語ですか・・・。1960年代生まれの自分は教育勅語は歴史の授業の中で知ったのみでした。親やそのまた親からの教えにそういったものが入っていたのかもしれません。ただ、それだけでは説明できない何かがあるように思って書いたのがこのエントリーです。
言の葉ブログ
2011/05/23 06:01

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