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zoom RSS 疑問符を持ち質問者であれ

<<   作成日時 : 2012/08/23 18:24   >>

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偉大な政治家にならなくてもよいし、
偉大なスポーツマンにならなくともよい。
ただ、偉大な質問者になりたい


詩人、作家である寺山修司の言葉。

今の日本は、
夏休みの小学生並みに
多くの宿題を抱えている。

経済、外交、原発、教育・・・
これだけあっちからもこっちからも
問題の火が同時に吹いているというのも
ないのではないか?

国レベルから個人レベルまで
難しい判断を迫られるせわしい毎日。
先延ばしでの誤魔化しももう限界だ。

どうしてこんな事態になったのか?

これまでの疑問符を放っておいたツケが
とうとう回ってきたのではないか。

「なぜ?」「どうして?」と聞くのは
幼い子供のすることであって、
オトナは、疑問を持つよりも、
権威やお上の言うことに従ってれば
悪いようにはならないだろうという
緩く他律的な常識観念では
もう対処しきれない時代なのだ。

そういう疑問符を差し挟むことなしに、
社会生活の外堀が知らぬ間に埋められて
見えない柵に囲まれて暮らしてきた。

その柵がイザという時に
全く役に立たないことに気づいてしまった。

戦後という期間だけに区切っても、
疑問符を挟むべき機会は沢山あったはず。
しかし、それらの疑問符は、
無視されたり
途中で骨抜きにされたり、
少数意見として片付けられたりしていた。

そういう中で、
一度動かしてしまえば、
二度と巻き戻せない歯車が
あちらこちらで回り始め、
どんな問題が出ようが
どんな事故が起ころうが
簡単にはやめられなくなってしまった。

原子力発電などはその最たるものだ。

「昨日まで大丈夫だったんだから
 今日も明日からもきっと大丈夫だ」

そんな根拠のない基盤の上に
今の社会は動き続けている。

だが、これまでの社会の歯車は軋んでいる。
油をさせばまだ動くかもしれないが、
そもそもその歯車でいいのか、
その組合せ方でいいのか、という
疑問符を差し挟むべき時期ではないか?

「余計なことを考えるな」
「自分の頭の上の蝿を追え」
と言うのは常に権威側であり、
そしてそれに従わせるのが
これまでの教育であり政治であった。

そんな権威の無謬性の催眠術は
いつまでも続くわけではない。

疑問符を持たない社会が
どういうことになるのかを
今の状況は我々に示している。

偉大でなくて構わない。
現代社会を生きる私たちは
良き質問者となり、
そうあり続けるべきである。

そういった疑問符の積み重ね、
その量と質が、
将来の日本を少しでも良い方向へ
変えていくのだと思う。



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