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zoom RSS 「終活」よりも「生活」しよう

<<   作成日時 : 2012/10/06 10:49   >>

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生が終わって死が始まるのではない。
生が終われば死もまた終わってしまうのだ。


作家でもあり詩人でもある、
本ブログでもお馴染みの寺山修司の言葉。

10月2日に流通ジャーナリストの
金子哲雄氏が41歳で亡くなった。

氏は、亡くなる直前に自分の葬儀のお膳立てをし、
お別れの手紙まで準備した周到さが報じられた。
東京タワーの足元の墓地に
自分が入るお墓を用意していたという。

氏の生前からの気遣いやサービス精神の表れた
"模範的な死に方"という言い方をされている。

確かにそういう"綺麗な"死に方に教えられるところもある。
しかし、皆がそう準備万端で死を迎えられるわけではない。
(金子氏を批判したり中傷したりする意図は全くない)

さて一方、最近「終活」なる言葉が
マスコミに多く取り上げられるようになった。

自分の資産・財産などの身辺を整え、遺言をしたため、
自分の臨終と葬儀をどういうものにするかを
家族やお寺、葬儀社などと打合せておくのだそうだ。
生前葬を行う人もあると聞く。

自分の死をプロデュースしたいという気持ちは
世界有数の長寿大国だからこそのことだろう。

家族や友人に要らぬ迷惑をかけたくないという
思いももちろんあってのことと思う。

だが、皆が思い通りの死に方をするわけではないし、
思い通りに見送られることが完全に保証されるものでもない。
突然の事故死だってままある世の中である。

死について気になるのは、
きっと生と死がなんらかの形で繋がっているという
死生観がベースにあるからなのかもしれない。
魂の存在をどこかで信じているからに違いない。

だが、先の寺山修司の言葉の通り、
"生が終われば死もまた終わってしまう"のだ。

死はまさに消滅そのものなのである。

「死人に口なし」というのは
比喩的なものではなくリアルな真実であるのだ。

死んでしまったら終りなのである。
死んでから後のことに口出しすることは叶わないのだ。

死後の世界だって
生きている人間が何らかの事情で考えだしたことで
そんなことを本気に信じている人間は
まともな宗教家の中にはいないはずだ。
死の美学なんていったってそれは映画や小説の中での話。
死ぬときには結局死んでしまうのである。
それだけだ。

何よりも、せっかく生きているのに、
どう死のうか?と考え続けることは
大事な時間をロスしているだけではないだろうか。

そもそも、人は
「きれいな死に方をするために生きる」のではなく
「生きている"から"生きている」のではないか。

死は必然だが、生は偶然だ。
生まれるのも成長するのも出会いも別れも
とにかく人生は偶然に満ちている。
その偶然を楽しまないでどうする。

今晩はどんな美味しいものを食べようか、とか
明日の旅行には何を着ていこうか、とか
子供や孫へのプレゼントは何にしようか、とか
そういう"生を楽しむ"ことに熱心になった方が
よほど充実した人生ではないかと思う。

「死とは何であるか?」などという問いは
哲学者とか文学者にいくらでも考えてもらえばいい。

「終活」よりも「生活」。

もっと"生きている今" を堪能しませんか。



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