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zoom RSS なぜヒトは動物園をつくったか

<<   作成日時 : 2012/10/20 08:01   >>

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動物を飼ったり、
植物を育てたりするのは、
人間が動物または植物を愛しているからだ
と考えるのは、とんでもない間違いである。
もし愛していれば、
そんなことができるわけがない。


心理学者、精神分析学者である
岸田秀の言葉。

全く同意である。

どんな理由をつけようとも、
動物保護にも自然保護にも関係がない
人間のエゴに他ならないからだ。

自分も、かねがね
なぜ動物園が存在するのだろうか?
という疑問を持っていた。

なぜならその動物を知るなら
自然の中に生きている動物を見るしかない。

谷で隔てたコンクリートの上で寝起きする猛獣。
羽根を切られて籠の中で飼われる猛禽。
そんなものを見て何になるというのか?

北極のシロクマ、サバンナのライオンを
街中に連れてきて囲い見世物にすることが
何のメリットがあるというのか?

昔ならともかく、今は映像が誰にも見られるのだから
百科事典にでも動画をリンクさせておけば済むはず。

人間は自然から疎外された存在であるから
その孤独感、不安感を埋めるために、
"人工的環境"に動物や植物を捕捉するのだろう、と
氏は言うが、まさに同感である。

能力的にあらゆる動物に劣る、人類という種が、
自然法則から外れているにもかかわらず
繁殖し他の生物種の上に君臨するために、
動植物を犠牲にしているだけだ。

犬や猫やハムスターや金魚・・・
それらを愛玩することだって
当の動物には迷惑この上ない話だ。

いわば、問答無用で刑務所に連れてこられて
人間の我儘な都合に付き合わされ服従させられる
死刑囚のようなものだから。

動物保護団体も自然保護団体も、結局は
人間”だけ”に都合のいいように
動物や植物、ひいては自然を
人工化するのに加担しているのだ。

植物にはもちろん動物には
人間と同様の自由意志は持っていない。
本能以外の行動はない。

餌がいつももらえるから楽だ、とか
敵に襲われる心配がなくて安心だ、とか
受粉せずとも成長できるから嬉しい、とか
向こうは思っていないのである。
ただ自分が置かれた環境に
本能的に違和感を感じているかもしれないが。

余計なお世話どころか
過剰な虐待をしている現場である動物園。
そこに子供を連れていったり
デートを楽しんだりしていることの
残酷さをもっと自覚すべきではないか?

一方では一部の動物を"家畜"と定義して
それをエサにして生きている傲岸さを
忘れているのではないか?

植物園だって同じようなものだ。
"雑草"なんて言葉があること自体
自然をバカにしている。

自分の自由意志でお互いを殺す人間は
動植物まで犠牲にしていないと
普通に生きていけないのかもしれない。

本能が壊れている人間のあがきだ。

熊が街に出てくるのではなく
人間が元々熊の縄張りに住んでいるだけだ。
そういう熊を射殺してそれが当たり前だと思う。
この残酷性を直視せよ。

ペットを愛玩しガーデニングにいそしむ人は
まず自分の醜いエゴを自覚することが
せめて犠牲になった(なっている)生物への
罪滅ぼしになるのではないだろうか。

空威張りしないと自分を保てない自分たちを
哀れに、そして惨めに思うべきではないか。



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