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zoom RSS 仮装の上に仮装をする人々

<<   作成日時 : 2015/10/17 15:08   >>

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肉体の美しさは、ただ皮膚にあるのみだ。
もしも人間がポイオテイアの大山猫のように、
皮膚の下にあるものを見ることが出来るならば、
誰もが女を見て吐き気を催すことになろう。
女の魅力も、
実は粘液と血液、水分と胆汁から出来ている。
いったい考えてもみよ、鼻の孔に何があるか、
腹のなかに何が隠されているか。
そこにあるのは汚物のみだ。
それなのに、どうして私たちは汚物袋を抱きたがるのか。



少々長いが、これは十世紀のフランスの修道士であった
オドン・ド・クリニューの言葉。
ここで、「ポイオテイアの大山猫」が気にかかるが、
その当時、大山猫の視力はX線のように
全てのものを貫いて見えるという迷信があった。

(気を悪くした方もいらっしゃるかもしれない。
 男尊女卑甚だしい中世の人間の言葉である。
 これを男女逆に捉えても成り立つだろう。)

この言葉は澁澤龍彦のエッセーを読んで知った。

なんというか、
「それを言っちゃオシマイよ」
という感じがしないでもないが、
確かにそりゃそーなのである。

ただ、その汚物袋の自分を覆い隠すために、
肉体や衣服、そう衣食住をもってしてまで
ある意味の仮装しているのが人間なのであり、
そこの工夫が人間性だとも言えるではないか。

本音と建て前と言ったとて、その本音でさえ
常識的なところに収めようとする意志があろう。
だとすれば所詮仮面を取り替えながらの生活。
何が本当の自分かなんてわからない。
(わかりたくもないが)

そういう厚い皮を一枚一枚剥いでいっても
その人間の核には辿りつけないという
諦めも生きるためには必要なのだろう。

精神衛生上もその方が楽だ。

お互いになんだかわからないままに
理解しているという勘違いをしているしかない。

ところで、
巷でハロウィーン仮装が流行しているが、
ただでさえ普段仮装しているようなものなのに、
その上からまだ仮装するという、
「屋上屋を架す」的なものではないかと茶化すのは
野暮なのだろうか。

結局のところ、
我々は死なないことには素の人間にはなれないのだろう。


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