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zoom RSS 「自粛」も「不謹慎」も傍観者だから言える

<<   作成日時 : 2011/04/03 09:45   >>

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他人に対して
傍観者の態度をとれる人であるか、
それとも常にともに苦しみ、ともに喜び、
ともに罪を受ける人であるかどうかは、
決定的な差異である。
後者は真に生きている人だ。


オーストリアの詩人、劇作家である
フーゴ・フォン・ホーフマンスタールの言葉。

東日本大地震から3週間経った。
東日本大震災はまだ続いている。

その中で、
「自粛」や「不謹慎」なる言葉が
幅をきかせているのが気になる。
・・・というより気に入らない。

他人の行為や言葉に対して、
それは自粛しろ、あれは不謹慎だ、と
風紀委員よろしく選別に忙しい人が
思いの外いらっしゃるようだ。

辞書によれば、

「自粛」とは
自分から進んで、行いや態度を慎むこと。

「不謹慎」とは
つつしみのないこと。また、そのさま。ふまじめ。

と、ある。

「自粛」は、あくまで自分の思いから
自分だけで行うことであり、
「不謹慎」だと人に言うことは、
”おまえ、ふまじめだぞ”と
人格否定するに等しい。

いずれも他人においそれと
言える言葉ではない。

それでは何故言えるのか?

言う側の立ち位置が、
”傍観者”だからではないか。

当事者とは距離を置いて
自分が状況を俯瞰しているという、
”神”の立場をとってるからこその
傲岸な気持ちが見え隠れする。

「被災した方々」も
「救援に汗をかく方々」も
「対策に奔走する方々」も
他人の行為や物言いを
云々する余裕などない。

今、他人をああだこうだ言えるのは、
「被災者」を別の世界の
「可哀想な人たちだなぁ」と憐れみ、
「災害に対処する者」を
「なに混乱してんだよ」と嗤う、
そういう自分の悪趣味を
自覚していないからに過ぎない。

それでもそんな自分に
どこか罪の意識を感じて、
他人を諌め、ストップをかけることで
罪滅ぼしになるとでも思うのだろう。
”何もしていない”わけではないからだ。

だが、結局
自分のことしか考えていない。
そんなちっぽけなカタルシスに
他人を巻き込むことはない。
自分で「自粛」し「謹慎」していればいい。

そういえば、
花見を自粛しろ、と言った首長が
どこぞにいるらしい。

きっとその偉い人は
酔っ払って集団で大騒ぎする花見しか
知らないのだろう。
放っておけば愚民はそういう花見を
今年もすると思っているのだろう。

ずいぶん我々も見くびられたものだ。

今年こそ桜に色々な想いを重ねるのに
いい機会はないのではないか。

天地を揺るがし人を苛む事があって
それでも春は巡ってきて桜が咲く。

それを眺め、涙を浮かべながら
亡くなった人に想いを致す酒があったとて
どこに「ふまじめさ」があるというのだろう。

今、この時は
自分に何か出来ないことはないか、
どうしたらその気持を形にできるか、
そういうことを考える時間でもあるのである。

他人をとやかく言っている場合ではない。
自分と語り、考え抜くだけで精一杯のはずだ。

「お前こそブログなんか書いている
 傍観者に過ぎないんじゃないか」

そう言われるのは承知の上。

ただ、人の心を踏みにじり
言葉を粗末に扱うことが
許せなかったのである。
それが無意識であるとしても、だ。

ご理解いただければ幸いである。



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